マリアよ、あなたの心を、お与えください
共同司牧チーム シスター橋本 とも子
マリアよ、あなたの心を、お与えください。
私が頭に浮かんでくるいろいろな考えよりも、
私の信仰のほうが、より強いものとなりますように、
私のまよいによって、私の信仰に疑いの心が起きませんように、
私の強さによって、神の招きに抵抗することがありませんように。
マリアよ、あなたの心を、お与えください。
最低のことだけで、満足してしまうことのないように、
また、悲観主義に、陥ってしまわないように、
「いいえ」ではなく、いつも「はい」と言えるように、
マリアよ、あなたの心を、お与えください。
イエスに従うために、喜びが、私を励ましてくれますように。
希望が、前に向かって歩み続けるのを手伝ってくださいますように。
感謝が、神によって導かれたことの結果でありますように。
マリアよ、あなたはこれらをどのようになさいましたか?
神に答えるために、ご自分の弱さにどのように打ち勝たれましたか?
あなたの疑いではなく、天使ガブリエルがどのように勝ちましたか?
マリアよ、信仰、希望だけが、最初に出てきた震えや恐れの心に打ち勝たせたのです。
そうではなかったですか?
マリアよ、あなたの心を、お与えください。
千里ニュータウン・茨木・高槻教会共同宣教司牧チーム
アデリノ・アシェンソ神父
聖母の被昇天おめでとうございます。
私は去る7月にアイルランドを旅行することになりました。車を利用して時計回りで全国を回り、大自然に恵まれたアイルランド島の緑の平原の静けさを感じ、祈りに励まされました。ポルトガルに帰ってきて、「聖母の被昇天について書くには静かなファティマという場所は適当だろう」と思い、キルケニー(Kilkenny)カテドラルの素晴らしい「聖母の被昇天」のステンドグラスの写真を眺めながら、簡単な文書を作成しようと考えています。
アイルランド旅行の際、メイヨウー州に位置する標高764メートルのクロッグパトリック(Croagh Patrick)山に登るのは忘れられない体験です。ケルト系キリスト教以前からの聖地であり、キリスト教伝来以降もアイルランドの重要な巡礼地として知られています。5世紀に聖パトリックが訪れ、40日間かけて毒蛇や悪魔を追い払ったという伝説があります。毎年7月の最後の日曜日、クロッグパトリックに登る巡礼者の数は15,000人に上がり、登る意味は「贖罪する」ということだそうです。
私が初めてクロッグパトリックに登ったのは30年前のことです。その時に頂点に泊まろうと考えていたのですが、大雨による骨まで濡れたまま寝袋に入り屋外で寝ることになりました。30年経ちましたが、登る道は(幸いなことに)そのまま残されたのです。つまり、登りやすくされていないわけです。今回も、頂点に着くと喜びにあふれて1905年あそこに建てられた小聖堂とウエストポート湾の多数の小島を眺め、強風を顔に感じながら「贖罪する」意味が明らかにされ、自分の心が清められることを信じる瞬間でした。
登りながら聖母マリアの難しい御生涯について熟考しました。「お言葉通り、この身になりますように」と答えられてから、苦難の道を歩むことになられたのですが、その苦しみには深い
苦難、難しさの意味を探るのは大切です。そこに何か大きな
ご復活祭おめでとうございます。
聖母マリアの信仰に倣いましょう
司牧チーム シスター深瀬聖子
2013年の聖母被昇天祭は、信仰年の最後の期間を歩む最初の日です。
聖母の被昇天の祭日は希望の祭日です。マリアは楽園に至りました。そして、わたしたちも皆、楽園に至ことができます。これがわたしたちの目的です。問題はこれです。わたしたちはどうやって楽園に至ことができるでしょうか。マリアは楽園に至りました。福音は述べます。マリアは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じたかた」(ルカ1:45)でした。それゆえマリアは信じました。神に身をゆだね、自らの意思を主のみ心と一致させました。こうしてマリアは、楽園に至る道、それももっとも近道を通ったのです。信じること、主に身をゆだねること、主のみ心と一致すること。これがもっとも大切な道です。
上記のことばは、教皇ベネデイクト16世が、『イエスの祈り』の中で記しているものです。
確かにそうです。聖母マリアの特質である「マリアはこれらのことを思いめぐらしていた」・・これは楽園に至る初めの一歩と言えるでしょう。マリアの信仰の底辺に流れているのは『思いめぐらす』ことから始める生き方なのです。 信じること、身をゆだねること、み心と一致することはすべて、この思いめぐらすことから始まります。これは祈りの態度です。
一日の終わりに、朝から今までのわたしのことばや行いを振り返り思いめぐらしてみましょう。どんな感謝のできごとがありましたか?どんなお願いが必要でしたか?どんなごめんなさいが必要でしたか?神さまの前にわたしを置くことは、私自身を整えることになり、整えられるともっと神さまの望みが分かるようになります。わたしの人生には無駄はありません。マリアは整えられた状態を、思いめぐらすことで身に付けて行ったのだと思います。信仰年に求められていることも同じでしょう。
聖母被昇天祭を一つの機会として、日々の祈りで『わたし』を整えていきましょう。
あわただしい毎日だからこそ、あえて祈りの時間を確保することです。あわただしいと流されている自分から、思いめぐらすことのできる自分へと変えていただきましょう。
マリアの信仰に倣って、今日から始めることができますように。
聖母被昇天祭 おめでとうございます!!
からしだね |
2013年 聖母被昇天 第71号 カトリック茨木教会発行誌
聖母マリアの信仰
聖母マリアのポートレート
ルカ福音による
クエンジ・カンパタ・ダニエル神父
皆様、主の平和。教会の伝統で8月に聖母マリアを大事に思うように。聖母マリアの信仰の
模範に見習い、聖母マリアのとりなしを願い、聖母マリアと祈り、聖母マリアと歩むように。
8月の間に下の聖書を読みながら聖母マリアと出会うように。ミニノベナをお勧めします。
はじめに、主の祈り、聖母マリアへの祈り3回、信仰宣言を唱える。毎日、寝る前にイエスのいのり(3)唱えるように。イエスの祈り。(3)
「イエスよ、わたしたちを憐れんでください」」マタイ9:27
聖母マリアは何を信じていたでしょうか、聖母マリアにとって神という存在は?
今日に至るまで、マリアの賛歌はマグニフィカートと呼ばれ、バッハをはじめとして、多くの作曲家によって作曲され、多くの人達に愛唱されて来ました。素晴らしいことばには素晴らしい旋律をつけたいと思うものです。このマリアの賛歌にも多くの曲が生み出されるのに相応しい、言葉の表現がにじんでいるのです。
この「マグニフィカート」という言葉は46節の「あがめる」と言う言葉から出ています。1:46 マリアは言った。「わがたましいは主をあがめ、」とありますが、「崇める」とか「賛美する」とか言う意味のことばに英語でも「マグニファイ」と言う言葉があります。
この歌は46〜48節前半、48節後半〜50節、51節だけ、52・53節で一つ、54・55節で一つと言うふうに、文章が構成されています。はじめに1:46〜1:48を読んでみましょう 。
1:46
そこで、マリアは言った。
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう
1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
4.
憐れみ深い神
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
母マリアについて学ぼう。
新約聖書の中で母マリアの生のことばが七つあります。調べましょう、
1.ルカ1:34・・・・
3.ルカ1:39・・・・
4.ルカ・・・調べてね、ルカの何章、何節・・・長いです。マリアの賛歌
5.ルカ2:48・・・・
6.ヨハネ2:3・・・・
7.ヨハネ2:5・・・・