平和を生きるということ

 

司牧チーム シスター深瀬聖子

 

 サザンオールスターズの歌で、『ピースとハイライト』と言う曲があります。

その中に、『いろんな事情があるけどさ 知ろうよ互いのイイところ!!』というフレーズがあります。学校でもクラスの仲間のいいとこ調べ・・のようなことを授業で使ったことがありました。自分を中心に据えると、相手の問題点や直してほしいことに目が行きますが、相手に焦点を合わせると、相手にある私と違うところや、相手の良さが見えてきたりします。これは愛を生きることのスタート地点に過ぎません。まず知ることから出発し、相手を丸ごと受け入れられたら、きっとイエスの愛を生きるということが分かるのかもしれません。

 戦後70年の日本司教団メッセージを共に読み、戦争体験を分かち合うという機会がありました。わたしの両親が戦争体験者でしたから、小さい頃は話を聞いたと思うのですが、わたしの記憶の中には、戦争そのものの話より、転勤した先が飛行場に近く、飛行機の発着のために低く飛んでいく時の轟音に母が耳をふさいでいたことや、(母にとってはこの音はいのちを奪う音と聞こえるのでしょう)紙切れ一枚で、戦地に赴き紙切れ一枚で戦死の知らせが来て、「お母さんのお兄さんは死んでいない、今も南方で生きているのよ。」とたびたび言っていたことを通して、戦争を知らされたという気がします。

 一人一人の戦争体験は現代にとって貴重なものです。これからの社会の担い手に大いに伝えていかなくてはなりません。戦争の悲惨さだけでなく、平和を打ち立てるとはどういうことかを考えられるような伝わり方が大切です。

 今も、いのちが脅かされている人びとがいることを、まず知ること。その衝撃的な現実に心動かされること。互いに愛し合うとはどういうことなのかを考えること。そしてまず自分から実行していくこと。 福音書でイエスが深く憐れまれた場面を読むたびに、イエスのまなざしはどこに向けられていたのか、イエスが優先したのは何だったのかを考えさせられます。同じことをあなたもしてくださいと招かれていることを感じます。

 戦後70年の今だからこそ、教皇ヨハネ・パウロ二世の平和アピールを実現したいものです。

 「目標は、つねに平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追及され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊に満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命をまっとうさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。」(教皇ヨハネ・パウロ二世『広島平和アピール』)






 

梅崎隆一神父

 

 「最近実家の母の調子が悪い」と、一緒に住んでいる弟や妹たちから連絡がありました。幸いにも8月は入門講座などが休みになり時間があるので、ずいぶん久しぶりに家族のところに行くことができました。

 手ぶらではおぼつかないので手土産を持っていくことにしました。お菓子(それがたとえ駄菓子であっても)を持っていくと、妹たちは「ひゃん、お菓子やん」と黄色い歓声をあげて喜んでくれます。

 実家の近くのスーパーで買い物をして実家に戻ると、妹たちから歓声が上がりました。彼女らは、「主婦はこんな買い物はできない。牛肉と豚肉を同じ食事の中で食べることなど不可能」なのだと教えてくれました。清貧の誓願を立てているのに、庶民の生活の方が清貧を生きているではないかと思い、反省いたしました。弟は買ってきたものを黙々と調理してくれます。そして残ったものも、それぞれの家庭用に小分けに分けて持って帰ってくれました。

 持ってきたものをこれほど喜んでくれると思っていなかったので、幸せでした。お金で幸せは買えないけど、幸せのためにお金を使うことができるものなのだとしみじみ思いました。

 E・フロムの著書には貧困のもっともいけないことは、「与える喜びを奪うことだ」と書かれています。「受けるよりも与えるものは幸い」だという聖書の意味がこの言葉から良く分かります。人が神に似せて造られているのだから、神がこの世界に命を与えたように、与えることは神の似姿である人間の深い望みです。神から受けたものを分かち合えるとき、人はより人間らしくなれるようです。

 今年8月に戦後70年を迎える私たちは、与える喜びを深めることで終戦を続けていくことができます。戦争は奪い合いという人間らしさの対極にある非人間的できごとなのですから。

 うちの母の調子はまだまだ戻りそうにないし、私たちにはどうにもできないことですが、与え合う家族の姿を見せることが精一杯の親孝行になりそうです。

 

  

家庭の世界大会―アメリカのフィラデルフィア

2015922日~27日―

World Meeting of Families

Philadelphia-2015

 

マルセル・フォールテン神父

 

来月にアメリカのフィラデルフィアで家庭の世界大会が行われます。その大会のプログラムの中で孫の世代の信仰の教育おける祖父母の役割は小さいものではありません。

一つの例として、レデンプトール修道会の総長となられたマイケル-ブレル神父様の幼いころの話です。忙しい親の代わりにかれのおじいさんとおばあさんは毎日曜日のミサに連れて行ってくださったそうです。この老夫婦の模範的な信仰の影響を受けて彼の信仰はりっぱに育ちました。「祖父母おかけでわたしは信仰を守って青年になって司祭になろうと思いました。今になって感謝しております。」と言いました。数ヶ月前に宗教者の集まりに参加してお坊さんたちも同じことを言っていました。

「今、祈りと社会のために大切な価値観を伝えるのはおじいさんとおばあさんの役割です。今の若者は信仰をなくして現代の問題を向かえるのは難しいでしょう。かれらは信頼のできる指導者を求めています。

親についてのことばですが、「後ろ姿」を見る子供たちはことばより行いによって育てられると言うけれども、おばあさん、おじいさんの「後姿』も若者にとって大切なものです。これを強調するために大会のために聖家族のイコンを書くようにと頼まれた絵描きさんはイエス様のおじいさんとおばあさん、聖ヨアキムと聖アンナもこのイコンに書き加えました。きっとイエス様の教育のなかにその祖父母の影響もあったでしょう。伝道的の絵のなかに聖アンナとイエス様の絵もかなりあります。

昔は家族のなかに祖父母の影響はもっと強かったでしょう。今も新しい方法で若者のためにもっと必要としています。孫を預かって世話をする、送り迎えする皆様のために聖ヨアキムと聖アンナの支えがありますように。


からしだね

2015 被 昇 天   第77号   カトリック茨木教会発行誌

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                   「聖母の7つの悲しみーMATER DOLOROSA」

 

グエンジ・カンパタ・ダニエル神父

 

聖母マリアはキリストの御母であるから、その御心には常に歓喜と楽しみに充ち溢れていたと考えられるのは誤りであって、実際は悲しみの御母と呼ばれるほど、数々の辛酸をなめたのであった。正典福音書のなかで、聖母マリアが大きな悲しみに遭う場面が7回あります。聖母(マーテル・ドローローサMATER DOLOROSA)とは、「聖母の7つの悲しみ」と呼ばれるこれらの出来事に心を痛める聖母のことで、通常7本の剣で心臓を刺し貫かれ、悲しむ表情を見せる聖母の図像で表されます。「聖母の7つの悲しみ」はすべて正典福音書に記述された出来事です。以下に関連箇所を引用します。日本語テキストはすべて新共同訳によります。


1.
幼子イエスに関するシメオンの預言聖母がシメオンの預言を聞き給いし時の御悲しみ。」
関連テキスト ルカによる福音書 234 - 35
 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。-あなた自身も剣で心を刺し貫かれます-多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 

2. エジプトへの逃避聖母が御子を伴ってエジプトへ逃れ給いし時の御悲しみ」
関連テキスト マタイによる福音書 213 - 15
 
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 

3. 3日のあいだ少年イエスとはぐれたこと「聖母が御子を三日間見失い給いし時の御悲しみ。」関連テキスト ルカによる福音書 243 - 45
 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

 

4. 十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと「聖母が十字架をにない給いし御子に遭い給いし時の御悲しみ。」関連テキスト ルカによる福音書 2327
 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

 

5. イエスの十字架のもとに立ったこと「聖母が十字架の下に立ち給いし時の御悲しみ。」
関連テキスト ヨハネによる福音書 1925 - 27
 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

 

6. 十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと「聖母が十字架より下ろされし御子を御腕に抱き給いし時の御悲しみ。
関連テキスト マタイによる福音書 2757 - 58
 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。

 

7. イエスの遺体を埋葬したこと「聖母が御子の御遺骸を御墓に運び給いし時の御悲しみ。」
関連テキスト ヨハネによる福音書 1940
 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。