『主の御降誕に思う事!』
清川
泰司 神父
主の御降誕おめでとうございます!
私は54歳になり、54回目の「主の御降誕」を迎えます。考えてみれば、皆さんにとっても人生で、一度限りの貴重な時を迎えます。
クリスマスについて、人生を振り返ると、様々な事を思い起こします。12歳の時、クリスマスに教会から離れた事、そして26歳の時「教えてやる!」という言葉を聞き、また、その年のクリスマスに教会に戻る決定的出来事があった事。「教えてやる!」、そして決定的出来事、それが、神の声であり、神の働きだと真に受けて、それに従い、今に至ります。まだまだ神に教えられながら・・・。
その神の教えは、年月が流れる中で、知識の積み上げ、また活動における実績の積み上げでもないことを痛切に感じるようになりました。むしろ、聖書の理解を深める中で、祈り、そして体験を通して、神の愛を知れば知るほどに、自分を含め、人間の限界性に気づかされることにあると感じています。また、己の傲慢さ、狭さ、弱さ、未熟さの気づきもあります。さらに、神の人類救済計画の壮大さに比べ、ちっぽけなものにしがみついていることへの気づきもあります。これらの気づきは、同時に不思議な感謝に招かれます。
私にとって「主の御降誕」は、人間の愛の狭さ、未熟さ、傲慢さに気づかせてくれる方が来られた事だと感じています。それも人間の惨めさをおびて、その方が、飼い葉桶に寝かされたあの幼子であり、十字架への道に向かった方なのです。その道こそが、あのアダムが楽園から追放され、その時、神が守った「命の木に至る道」(創世記1章24節)。ここに、人間の救いの道が開かれたのです。永遠性と、普遍性と、神秘なるものへ向かう道です。この事に、感謝することが「主の降誕」を祝う事だと思いを深めています。
新しい年を迎えさせていただくことに神に感謝!
新しい年が、神との交わりを深める年になるようにお祈り申し上げます。
クリスマスプレゼント
礼拝会 Sr.佐藤 君江
先日、子供たちに「クリスマスってなーに?」
と質問したところ「プレゼントをもらう日だよ」との答えが返ってきてがっかりしたわ」との話を聴いた。
ところで、私たちも本当にクリスマスは何かと真面目に考えているでしょうか?
この日本の中でクリスマスを祝う風潮は、決して他の国に負けないでしょう。消費は美徳と言われた時がありました。今はその言葉は聞こえませんが、同じことが奨励されています。政府は消費が伸びない、国民の財布のひもは固い。といっていますが巷ではクリスマスセールの呼び声やら、チラシはなんとにぎやかなことでしょう。
この様な日本の中にも、いたいけな嬰児の姿をした神様が来られるのですね。何も持たないで、ただ、人々との関わりによってしか生きられない赤ちゃんの姿で来られるイエス様です。そのイエス様の姿に、貧しい身なり、不自由な体で、冷たい風の中を思案にくれた顔をして歩いている老人、いいえ、ダウンの立派なコートとブランドのハンドバックをもって、おおきな瞳に更につけまつげを付けて、電車の中で所在気なしに立っている若い女性。私はここにいますと語っている姿。子どもの貧困、若い女性の貧困、二つも三つもパートの仕事を回りながら必死に働いている母親。電車に乗れば、くたびれた靴と形の崩れたかばんを持って、疲れて眠る男性、私たちの周りにはこういう情景を何もできないあかちゃんとして来られるイエス様と重ねて見ます。華やかな消費文化を生きる事がクリスマスと思い込んでいたり勘違いしている人々、それに与ることのできない人々がいます。こういう人たちにこそ、本当のクリスマスを知らせたいですね。せめて教会では祝いたいですね。クリスマスは神様からの私たち人間にくださったプレゼントです。そしてそのプレゼントを最初に頂いたのは貧しい羊飼いたちでした。
日本では昔からプレゼントを頂くと、お返しをする習慣がありました。私たちも、もう一度プレゼントについて考えたいと思います。神様の大きなプレゼントに対してお返しをすること。何をどの様に、誰に私のプレゼントをあげましょうか。物でしょうか。心でしょうか。案外暖かな言葉をかけることかもしれません。ごめんなさいね。と勇気を持っていうことかもしれません。私たちの暖かな心と、それを表現する行動かも知れません。そして何よりも小さくなられた神様に、この社会の中で小さくされた人たちの事を思って、心から祈りを捧げることが一番大きなプレゼントではないでしょうか。プレゼントを頂くクリスマスから、プレゼントを差し上げる事にしませんか。
さぁ馬小屋の前で心静かにひざまずきましょう。神様というプレゼントの前で、小さくされた人々を思い浮かべてみましょう。人となられた神様はきっとあなたの心からの祈りをきていくださいますから。そればかりか神様はあなたの祈りに応えて、あなたの心を大きく、広くしてくださいます。私が頂くプレゼントは誰かと分かち合うためのプレゼントであることをおしえて下さるでしょう。
神が人となられる
司牧チーム Sr.深瀬聖子
2017年のクリスマスがやってきました。わたしたちは生涯の中で何度クリスマスを祝うのでしょうか?時の流れの中で生きているわたしたちにとって繰り返し祝われるこの祭日に思いを馳せることはとても大切です。
実際のクリスマスは確かに2000年以上も前にあった出来事です。それから川のように流れる時を経て、今年も神は人となられます。大きな喜びの中で、受肉の神秘を黙想しましょう。ルカ福音記者が好んで使った言葉・・『さがす』『見いだす』『信じる』この三つは信仰の三大要素でもあるような気がします。
あの日、羊飼いたちはいつもと変わらない夜を過ごしていたのです。天使たちが重大ニュースを告げなければ平凡な羊飼いとしての夜でした。けれどもその日は突然彼らの上に襲いかかるのです。しかも見たこともないような光と共に・・『布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子を見つける。』・・天使たちに促されるように羊飼いたちは急いで行くのです。『さがしに・・』そして『見いだす』と天使の話した通りだったことを信じて人々に知らせに行くのです。聞いた人々は彼らの話を不思議に思ったと聖書には書いてあります。不思議にというよりはいぶかしく思ったのです。そんなことがあるものかと・・神さまと共に生きるわたしたちの人生には、時折このようなことが起こります。神さまからのインスピレーションをさまざまな出来事や出会いを通して受けますが、探していくうち、その出来事や出会いに含まれる深い意味を見いだし、信じずにはいられなくなるのです。
神様は人となられるほど、わたしたちを愛してくださるのです。探し、見出した羊飼いたちはどれほど神が自分たちを愛してくださっているかを、幼子を通して一瞬のうちに感じ取ったのではないでしょうか?・・時の中に今も確かに存在してくださるイエスを大きな喜びのうちに見出したいものです。
教皇フランシスコの言葉を引用しましょう。
「救いの始まりは、自らに先立つもの、根源的なたまものに心を開くことです。このたまものが、人生を肯定し、いのちを守ってくれるのです。このような根源的なたまものに心を開き、それを認めることによって初めて、わたしたちは造りかえられ、救われ、人生は実り豊かなものとなり、よい実を結びます。信仰による救いは、神のたまものが先立つことを認めることです。聖パウロが要約して言う通りです。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神のたまものです」(エフェソ2:8)」回勅『信仰の光』より。
主のご降誕、おめでとうございます!
香山 剛 神父
「寄り添う」という言葉を聞けば、人はどのようなイメージを抱くでしょうか。
思いいつくままに列挙すれば、国際関係、政治、経済、社会、医療、教育、文化、の分野において人間に「寄り添う」ことが出来そうです。大きなテーマが全面に出てきましたが、実際に人が人に「寄り添う」のは一人ひとりの生活の中においてです。それ故、「寄り添う」つまり自分にとって大切な時間を他者の為に使うという実際の行動が何によって起こるのかということを私の青春時代の興味ある一つの体験から見てみたいと思うのです。
40年前の夏、20代の半ばの頃、まだJRではなく国鉄の時代に寝台列車の「日本海」に乗車して2週間の北海道ワイド旅行に出たことが思い出されます。当時、青森と函館間には青函連絡船が就航しており船上で「海峡ラーメン」と黒ビールを試しに飲食したのでした。午後、函館駅から特急列車に乗車して札幌駅に到着したのは夕暮れの午後6時頃で、ライトに照らし出された北の大地のターミナルに降り立ったとき、プラットフォームもなく西部劇に出てくる新天地のように輝いて見えました。翌日、特急列車でさらに稚内に向かい、彼の地では日本最北端の宗谷岬を観光した後、礼文島にフェリーでわたり一泊、翌日は夕方まで海岸線を散策し、隣にある利尻島に小さなフェリーに乗船して到着後、鴛泊ユースホテルに泊まりました。
利尻島の宿泊施設では、自分の大切な時間を優先しようとしてゆっくりと体を休めるために早く寝ようと考えていたのですが、ユースのスタッフは「せっかく利尻島まで来たのだから利尻富士の夜間登山に挑みなさい」と寝床に入らせてくれず、ついにその説得に根負けして午後10時ごろ出発するユースの登山隊に参加することになったのでした。「誰かが連れて行ってくれるだろう!?」という気軽な考えで整列していると、ユースのスタッフは参加者の「靴」に懐中電灯を向けて一人ひとり靴を確認し、その中で「登山靴」を履いていた私を見つけ夜間登山隊を先導するリーダーに選び出したのでした。もう一人サブリーダーとして気の良さそうな青年も指名され、私が先頭を彼が最後尾を任され翌朝の5時ごろの登頂を目指して出発したのでした。
利尻島は1700メーター級の山ですが、緯度が高いので夏でも夜は富士山くらいの気温になり吹き下ろす風も冷たく、登山道には風を避ける場所もなく気を遣う山でもあるのです。一時間毎の休憩とサブリーダーから伝わる約30人の参加者の体調を計りながら歩く速さの調節、それは終には各参加者の一人ひとりに寄り添うような感覚にまでなりました。日が昇る頃、ようやく山頂らしき所に着き、そこで解散です。復路は、帰心矢の如しのようで往路の半分の時間でユースに到着。青春時代に真夏の夜のなんとも不思議な体験でした。
「網」見て“イエスは、「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた」”(マタイ4:19) 神は私達の「何を」見て選ぶのでしょう?
昼間がわずか3時間の国で
マルセル・フォールテン神父
42年前のことですが、旅行中天気が悪かったので、飛行機は目的地まで飛べず、一晩デンマークのコペンハーゲンに泊まることになりました。着いたのは午前10時でしたが午後一時にはもう暗くなって、すぐ夜になってしまいました。昼間が一日僅か3時間だけというのは初めての体験でした。長い夜の7時ごろ、退屈だったので散歩に出かけました。すでに12月13日だったので、大変寒い夜でした。驚いたことには、お店だけではなく、一般の家でも各窓にろうそくの灯が輝いておりました。北の国ではクリスマスを早くから祝っていると思いました。後で分かったことですが、このように長い夜を体験している国では、聖ルチアという聖女の記念日が大変荘厳な祭りとなっています。ルチアという名前はラテン語の言葉「lux」光から創られた名前です。つまり、彼らは冬のあいだ昼が非常に短く、弱い僅かな太陽の光しか恩恵を受けてないので、光への特別な憧れがあるのです。
前教皇聖ヨハネ23世は、北にあるもう一つの国、アルバニアという国でヴァチカンの大使だった時に、あのろうそくには別の意味があるだと教えられました。それはクリスマスの前であるから泊まるところを探していた聖ヨゼフへの歓迎する意味で、「どうぞお入りください。待っていましたから。。。」と。どちらにしても、まことの光であるイエスへの歓迎の意味でしょう。人間にとって光がどんなに大切であるかは、天地創造のなかで一番先に光が作られたことで分かります。さらに、ヨハネは福音の初めでイエス様を光として紹介しています。
「いのちは人間を照らす光であった。 暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1,4-5)
聖書のこの言葉を換言すれば、「イエスは光であって人間に命を」与える人だったのに、これを理解しないで受け入れない世界は、イエスが生まれた時代と今の人間の状態とあまり変わりはありません。今度のクリスマスは多くの人々のために「良い知らせ、喜びの福音」であるように祈ってこれに協力するように私たちは呼ばれています。
教会の2000年の歴史のなかで、キリストが約束なさったように、いつも光として私たちを導く聖人や先輩を与えてくださったように、私たちも現代に生きる人々のために、そのような光となるように求められています。このために、今まで自分が受けた恵みを新たに発見し意識するように努めましょう。これは秘跡と祈りの力を体験することから始まるでしょう。人と人との関係で受けた恵み、与えた恵みもあるでしょう。
今度のクリスマスを記念しながら神様の人間に対する愛をあらたな心で味わって、これにこたえる方法を聖霊によって教えられますようにと願いましょう。イエスが生まれるところを探していた聖母マリアと聖ヨゼフは、今もイエスを受け入れる心を求めているのです。彼らが私たちのためにそういう心を祈ってくださるように願いましょう。
皆様のためによいクリスマスでありますように祈りながら。
から し だ ね |