2018 復活祭   85   カトリック茨木教会発行誌

『復活祭を迎えることが出来たことを神に感謝!』

清川 泰司 神父

復活祭おめでとうございます。

   プロ野球好きの私にとって、四旬節から復活祭、それはプロ野球のキャンプから開幕と重なるところがあります。実は、この時期、ワクワクしながらこの期間を過ごします!

 プロ野球選手にとって、キャンプは大切な時なのです。つまり、この時期の過ごし方がシーズン中の活躍を左右するのです。そして、プロ選手において、ただただ闇雲に練習するのではなく、現実の自分を理解し、その上で自己の弱点を発見し、その弱点と向き合い克服する練習こそが、プロ野球で成功する道だと、多くの解説者は言っています。

 このようなところから四旬節は、キャンプと似ていると感じるのです。信仰を深めるのは、人間的修得でもなければ、世間体の習わしにおいての成長でもありません。福音の精神に照らしての成長です。その福音は、人類の普遍的不完全さ、自己の弱さを見出させます。そして、どうしたら、この世に争いがなく、平和になるのか?神の民としてどのように神に奉仕するのか?その上で、自分の在り方はどうなのかの深い洞察が求められるのです。このような意味で、教皇レオ1世(在位440-461)は「信者の養成期間」と四旬節を定めています。 

プロ野球で、若くして解雇された選手の多くは、後に、このような言葉を残しています。もう少し自分に向き合い、弱点に謙虚に取り組んでいたら、こんなことにならなかったのにと・・・。

 信仰にはプロ野球とは違い解雇はありません。これまで、表面的な神認識、教会認識のまま自から教会を去る人を多く見てきました。残念です。神は人間を解雇せずに、また新たに歩ませることを諦めないのです。それは、プロ野球と違い年齢を問いません。むしろ、年齢を重ねれば重ねるほどに、若い時に理解できなかった神と出会う可能性が開かれると感じます。

私は、色々なところで、「赦しの秘跡」を頼まれ、その中で、自分の力で何もかもできなくなってから、神の認識の浅はかな自分に気づかされたという人とも出会ってきました。さらに、自分の力ではなく、神の恵み、神に支えられて来たのだという底知れぬ喜びをようやく感じることが出来るようになったという人とも出会ってきました。

   今年、2018年の開幕を迎えました。あ~間違えました「復活祭」でした。神からいただいた新しい命、色々な人、様々な局面、また思い通りにならない出会い、それは身体的に、人の関係の中で、そして、その事により、自分の心に沸き起こる不安と出会うでしょう。しかし、それは、見捨てずに教育してくださる神との関係を深める出来事!

今年も、復活祭を迎えることが出来たことを神に感謝!


 

 


  

私たちの信仰宣言

司牧チーム シスター深瀬聖子

 

 ご復活おめでとうございます!今年も主の復活を祝うことができることを感謝いたしましょう。

 私たちは主日のミサで信条を唱えたり歌ったりします。『私は信じます。唯一の主イエス・キリストを。…ポンティオ・ピラトのもとで、私たちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座についておられます。…』特に復活節にはこの部分に注意を払って宣言したいものです。教皇フランシスコはイエスの復活について述べています。一部を紹介してみましょう。

 「イエスの死と復活こそが、私たちの希望の中心です。イエスの死と復活への信仰がなければ、私たちの希望は無力なものとなり、希望とは言えなくなります。イエスの死と復活こそが、私たちの希望の中心なのです。使徒パウロは言います。「キリストが復活しなかったのなら、あなた方の信仰はむなしく、あなた方は今もなお罪の中にあることになります」(Ⅰコリント15:17)残念ながら、イエスの復活への信仰をあいまいにしようとすることがしばしば試みられます。信者の間にさえも疑いが忍び入っています。それはいわば「いい加減な」信仰であり、力強い信仰ではありません。こうした軽薄な考え方のゆえに、また時として無関心のゆえに、あるいは水平的な人生観のゆえに、人々は信仰よりも重要に思われる多くのものに心を奪われます。しかし、私たちの心を偉大な希望へと開くのは、復活です。なぜならそれは、私たちの人生とこの世の生活を、神の永遠の未来へと、完全な幸福へと開くからです。悪と罪と死に打ち勝つことができるという確信へと開くからです。この確信によって、私たちは深い信頼をもって日々の現実を生き、勇気をもって献身的に現実に立ち向かうことができるようになります。キリストの復活は新たな光で日々の現実を照らします。キリストの復活こそが私たちの力です。」

 信仰は架空のものでも、理想郷でも、遠く離れてあるものでもありません。今年の復活祭を通して、主が私たちを救いへと招いておられます。自分の現実の中に、この主の招きを見つけ、喜びをもって応えて生きましょう。復活された主は私たちと共におられます。  アレルヤ!!

  

             

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